オーガニックにんじんの土を泣きながら洗った都会の夜のこと。だから私はオーガニックを選ぶ
都会でひとり戦うわたしのそばにいつもあったのは、オーガニックのにんじんでした。 なぜいつも買ってしまうのか、わかりません。 理由がわかったのは、あるお月さまのきれいな晩のことでした。
こころがポキンと折れそうな日々になぜか食べ続けたにんじん
「いま、オーガニックの宅配、頼んでるんだ」
ランチタイムのカフェ。何気なくつぶやいたわたしに、大学時代の旧友ヒトミは目をまるくしました。
「へえ〜っ!いいねえ、なんか優雅で!ウチなんて子ども3人てんてこ舞いよ!」
「そう、だよね」
調子を合わせながら、なんとなく感じる居心地の悪さ。“優雅”とは、ほど遠い本当のわたし。
18歳で田舎を出て、東京で暮らした年数は、いつの間にか地元のそれを超えました。
仕事のこと、家族のこと、自分の体のこと――。意と反して増え続ける責任が重くて、年齢とともに変わっていく体がしんどくて、息が吸いづらくなっていました。
都会は、空気が薄い。
そんな日々に食べ続けていたのが、“オーガニックのにんじん”だったのです。
にんじんジュースにしたり、スティックにしてぽりぽりかじったり、ぬか床に寝かせてぬか漬けにしたり。
でも、わたしは特別にんじんが好きなわけではありません。どうして、にんじんばかり食べたくなるのだろう。
その理由がわかったのは、あるお月さまのきれいな晩のことでした。
涙が止まらない……!にんじんの土を洗っていただけなのに
仕事では空回り、家族のケアにもつまずいて、友だちはみんなピリピリ忙しそう――。
寄りかかる場所を失って、フラフラと帰宅して、いつものように夕飯の支度を始めました。
キュッと縮んだこころが溶けたのは、土に触れた瞬間でした。
土付きのにんじんを、そっと洗う。ぬるりとあたたかいその土に触れたとき、わたしの凍ったこころがしゅーっ、と音を立てて溶け出したのです。
ふとよぎる、幼い頃に遊んだ畔道の香り。コンクリートに囲まれた都会では出会うことのない、懐かしい香り。
「土だ。オーガニックの土だ」
にんじんを握りしめたまま、わたしはへたり込んでしまいました。ずっとずっと我慢していたかたまりが、涙となって喉の奥からあふれ出します。
窓の外には、満月間近のまんまるお月さま。
「そんなに、がんばらなくていいよ」
と、言ってくれているようでした。
土に触れることは「あったかい明日」を作ることだった
こんなに小さなにんじんだけれど、こんなに少しの土だけれど、弱ったこころを溶かす力を持ったオーガニック。
「いま手の中にあるこの土は、確かに生きている」
あんまりにあったかくて、確信しました。土のついたにんじんを、両手のひらで、ぎゅううっと挟むように包みます。
「ああ、わたしはこの土を求めていたんだ。触れるたび、エネルギーをもらっていたんだ」
オーガニックのにんじんが運んでくれる土に、わたしは“明日”をもらっていたのです。土に触れることは、あったかい明日を作ることでした。
昨日だれかが大切に作った土が、今日わたしのもとに届き、おかげでわたしは明日を歩いていく。
オーガニックのにんじんばかり食べていた理由が、ようやくわかった瞬間でした。
農薬や除草剤に頼らず、真心と自然の力で育てられたその土が、わたしを助けてくれたから。いつも、すぐそばで。
なぜ私はオーガニックを選ぶのか?
都会でも生きた土に触れたくて、今日もオーガニックに手をのばす。それは、わたしの“普通の日常”です。
“優雅”とはほど遠い、バタバタ続きの毎日だけれど、いまを一生懸命に生きている。わたしも、ヒトミも、家族も、仕事仲間だって。
みんな、いろいろ事情はあるのでしょう? きっと、あなたもわたしも。でも何とか立っている。強がり言って、平気な顔して、ときには隠れて歯を食いしばったりして。
涙ひとつ流せないくらい、ついがんばりすぎてしまうわたしたちに、そっと“ゆるみ”を届けてくれるオーガニック。ときに意固地になって閉じこもる、わたしたちのこころを、そっとノックしてくれる土。
だから私はオーガニックを選びます。その土に少しでも触れていたいから。
ライター:三島のん
- この記事の情報は掲載開始日時点のものとなります。
- 農作物は、季節や天候などにより状況が変わります。
- 掲載内容は予告なく変更されることがありますのでご了承ください。